とうとう・・・大台に乗った。昭和20年4月2日 午前0時15分 七百三十匁 臍帯巻絡・・・・助産婦 西塚 イシ 妊産婦手帳 有谷喜美子 戦時下の中母は疎開先の青森県三戸郡剣吉で私を出産しました。 「姉ちゃん猿の子を産んだ」・・・・と12歳の叔父は思ったそうです。 父が沖縄県石垣島出身の為 両親の婚姻届けは受理されぬまま 私が中学入学の為戸籍を取り寄せたら・・・私は入籍されていませんで母の実家に記載されていました。妹が入籍し・弟が入籍して最後に私が入籍していると 順番が狂いました。
坂上に黄色い木蓮が咲きました。 目にも鮮やかなレモンイエロー珍しい色です。
当時東京は空爆で焼け野原 父はこのまま青森に引っ越しをしようと考えていたようですが・・・・母が身内からされた仕打ちに考え直し終戦後直ぐに東京に引き上げて来たそうです。僅かなオシメしかなく・・・汚すと直ぐ洗濯しなければならず お湯を沸かすと水を入れられたりして 母は生後半年に満たない幼児を抱えての列車での長旅は大変だったそうで・・・母の前に居た男性が人波から私を守ってくれたと何度も聞かされました。母の父親が生前鉄道省に勤ていた関係で切符が手に入ったようです。青森から東京への移動の話しは何度も何度も聞かされました。 12歳だった母の弟の叔父がいつも負ぶわされて・・・背中を濡らされたと たこが出来るほど聞かされました。 満州からの引揚者の話しも惨いことばかり 此の黄色木蓮の様な明るさは無かっただろうに・・・当時の日本人は皆強かったです。