とうとう・・・8月のカレンダーもめくられる。 ここに来て時の速さが見えてきました。 年齢を重ねると・・・時間が見える。喜ばしいことではありませんが・・・期限は決まっていると解ります。 31日は 毎年家族で夏休みの宿題 工作作りで天手古舞です。親の𠮟る声とピーピー泣く子供の大合唱が続きます。 去年の私の水族館を 妹に。妹の絵を弟に描かせたりして・・・31日は父の誕生日ですがそんなところではありませんでした。 今日はスーパーの焼き芋を買ってきました。 父に供えましょう。お父さんに・・・・会いたい・・・
8月30日 トコブシ
何としてもお蕎麦と天麩羅が食べたかったです・・・頑張って行こう。今日は気持ちの入り方が違います。お蕎麦美味しかったです。 あとはパンとお惣菜を買うために 地下道を歩いて いると???あれ???Hさん。 「Kさん!! 私掻き氷食べようと思って来たの」Hさんは隣のビルに住んでいますからビルは熟知しています。 二人で小一時間はお喋りをして待ちましたが 鶴屋八幡のかき氷を頂きました。大きな緑のかき氷は優しく淡く美味しかったです。 何時も一人の私にはHさんとの時間はとても楽しかったです。 あとはパンを買って、デパチカで食料を仕入れて帰宅しました。楽しくニコニコの一日でした。
8月29日 アマリリス
昼近くに整形外科のリハビリを受けに行きました。暑さが少し落ち着いたのか地下鉄で苦なく神保町へ行けました。 暑さよ・・・もう弱い者いじめは終わりにしましょう。少し軽い風を送ってください。 絵本を2冊買って丸亀製麺で饂飩にサツマイモの天麩羅をたべて「すべて 世は事もなし。」ただとても疲れました。
アマリリス マンションの隣の主がお花好きでよくユリやアマリリスを育てています。
土の庭は全くなく車庫で植木を世話しているのを見ています。ひまわり等大きな花が大きな鉢に植えられていて感心します。雌蕊と雄しべの位置が????不思議。昆虫が来るかいらぬ心配をします。
8月28日 空よ
体調不良・・・薬は頂いてありますがすっきりしません。 オリーヴさんが電話をしてくれて・・・おしゃべりで少し気分転換。 ハルさんからは明日お昼を頂きに那須・清里でもでかけませんかとお誘いですが・・・自信ありません。彼女が面倒見がいいのは分かっていますが・・・困るのは自分です。断念しました。 午後も植木の鉢替えをして終わりました。 始めると楽しく面白くて次々と植え替えました。 植木は土を入れ替えておきますと大きく元気になります。
8月27日 ヨーヨー
育った神田の家の近くに五十稲荷神社があります。 自宅の1本北側に五十稲荷通りがあって 定期的に縁日が開かれていました。 アセチレンの明かりの下で 海ほうづき・綿飴・金魚釣り・雷魚釣り・・・・屋台が並びました。最後に植木屋が並んでいました。その時はこんなにはカラフルではありませんでしたが・・・・早くに湯屋に行って 夕食後浴衣に三尺を結んでもらい 10円か20円を握りしめて屋台を見に行きました。 通りに面して「爺さん婆さん」「トンネル堂」と2軒の子供相手の駄菓子屋が並んでいました。懐かしいあの通りも変わった。駄菓子屋のあの丸いガラスの入れ物が魅力的だったが 私には買えなかった。イカのあし・細い管に入った赤いゼラチン菓子・ソースを塗った丸いオレンジの煎餅・・・花火を買うというとお金はもらえたが・・・花火といかの足を買う余裕はなく 母をだますことは出来なかった。
ヨーヨー
8月25日 小さなブローチ
トシコおばは3人の叔母の中でも一番ブランドものが好きでした。 着るものはオーダーメイドでジョージ ジェンセンがお気に入り 亡くなった時箪笥の引き出しの装飾品の箱がすべて空で驚きましたが 全部別の袋に移し別室の押し入れの中に入っていました。2度も脳梗塞で倒れていますのでヘルパーさんや看護師が定期的に入室しますので大事なものは押し入れに入れその前に座っていたほど用心深かったです。出てきたジョージジェンセンの銀のアクセサリー類は妹が持っています。 今思えば・・・珍しいものが沢山あったでしょうが多くは価値も分からない従兄弟に形見分けをして持たせました。
このブローチも日本で初めて叔母が買ったそうです。 これだけあれば私は十分です。
8月24日 メニュー
8月23日 すずらん通り
昨日「ご不在連絡票」なるものが投函されていました。 何かを注文した覚えはないし・・・身内からも何かを送ったという知らせもありません。何処から??とも何が??とも記載のないのには困りましたが 再配達の連絡はしておきました。18時を過ぎてヤマト運輸から品物が届きました。 亡くなった宇佐美の叔母が残してくれた魚河岸の会社の株式・・・総会の連絡が来ましたが無視しましたら 西京漬けの魚の詰め合わせが届きました。そういえば毎年2度ほど詰め合わせが届きます。 妹も弟も株は売ってしまったようですが・・・私は叔母が残してくれたものとしてまだ株は持っています。「みーこ叔母ありがとう 西京漬けの魚届きましたよ」そばかすだらけの叔母の顔を思い出します。
すずらん通り 以前は古本屋オンリーでしたが この通りも変わりました。 今三省堂がビル建設中です。
8月22日 ガラスの器
雨災害が各地で起きていて・・・濁流が逆巻いているニュースが流れます。床に泥が広がり畳が浮き恐ろしい光景です。避難所にいる方々も気が気ではないでしょう・・・物資は集まっても人力は ボランテヤ活動だけで片付くはずはない。 重機が大活躍するようです。
ガラスの器 小ぶりの器です。下に敷くもので変わるのがおもしろい!!
8月21日 青いカップ マイセン
トウモロコシが食べたい・・・・食料品少し買いに行かなくては冷蔵庫広々しています。まずは4時15分の 診療所に行って帰りに寄ってくればいい。用事は午前中に済ます主義なのに・・・内科以外の診察はなかなか予約が取れません。 やっと泌尿科の診察を受けると何やら面倒なことにと・・・
月島の叔母が残したマイセンです。 親友の姪御さんが勤めていてその伝手で買ったようです。 1/2162 のナンバーがあります。貴重なものかもしれません。 ブローチも最初に買った客のようですから・・・大事にしています。
8月20日 カップ&ソーサー
起床すると・・先ずは台所の冷蔵庫を確認します。1日分あれば外出は無し 次にカレンダーを見て医院の予約なし・・・よし大丈夫外出は明日にしよう。 昨日掃除機かけたし・・・本でも読んでいましょう。安野光雅「絵のある自伝」読みやすかったです。彼の優しい絵が一息つくのにうまい具合に配されていて穏やかに読めました。
喫茶店壱眞(かずま)神保町店 店は地下です。少々急階段狭く不便なところなので・・・今は遠慮します。 カウンターの前の棚にカップが飾られて壮観です。 ここも古い店です。半蔵門駅通りに 珈琲可否道 平河町が有り やはり色とりどりのカップが壁一面に飾られています。好きな珈琲カップを選んでコーヒーを入れてもらえますが 数多いカップにアレコレ迷って何ともて楽しいです。
8月19日 サルスベリ
8月18日 リンコステイリス・セレスティン
先日来神保町に出かけるたびに買ってきた本が大分たまっている。 もうしばらくは本は買ってくるのはやめよう。 そうなると・・・・有楽町に行くか この暑さあそこは街が起きるのが遅い。 さてどこがいい???。 暑い間外出しなかった・・・そろそろ外出したい。 やることは有るのだろうがやりたくはない。 なにしろなるべくならエネルギーを使わずにいたい。 ベランダの植木も植え替えたいが何せ暑すぎます。とか言い訳をしてボーとテレビの前で冷たい飲み水をのんでいます。
リンコステイリス・セレスティン この花の鉢は2鉢あります。花が咲くと可愛い。
8月17日 ひまわり
銀座7丁目によく通うお得意さんがありました。 好奇心の強い私は4丁目からショーウインドーを見て歩くのが好きでした。岡田かめやは当時からあります珍味屋です。 今は一袋500円でしたが かっては3袋1000円だったように思います。その前に狭い洋装店があって・・・衣類は仕立てがよかった事もあり殆どそこのバーゲンの時に買いました。懐かしいだけでは言い表せません。
かって4丁目にあったミキモトの入り口には浅いプールがあって花が飾られていて・・・楽しかった。
銀座・・・新宿・渋谷はほとんど知りませんが銀座は通った年月が違います。銀座6が建って大きな変化が起きましたが・・・中央通リの奥の道は庶民的でした。未だに覚えている店が多いです。 6丁目に東京競馬馬券売り場があって・・・そこだけはニッカーボッカをはいた男性達が多く集まっていました。少し涼しくなったら銀ブラしに行ってみよう。1丁目からでも4丁目からでも歩けばいいじゃないか。
8月16日 サルボウガイ
1945年8月15日 突如戦争が終わった。 戦時下母は青森に疎開して4月に私を出産していました。神田の家の近くに設備が整た大きな防空壕があって 知り合いの方はそこに逃げたそうですが・・・伝手のない祖母の家族は入れなかったそうで 空襲警報が鳴るたびに 父と母の妹達は阿佐ヶ谷保方面に逃げたそうです。 神田が焼け野原になると地下防空壕の中で全員が死亡しました。 遺体は当時美土代町にあったYMCAに運んだと聞きました。 壕を出ようとした人たちも扉を開けることを止められ たった一人木村パン屋のメリーちゃんだけが扉の前で生き残ったと母が話しました。彼女はのち宝塚スターになっています。 人の運命は分からないものです。 長い間水を張った地下のある陰気な建物が残っていましたが いつしか2棟のマンションが建ちました。 当時の事は風化しました。
サルボウガイ 二枚貝です。
8月15日 クモガイ
今日は貸金庫をしっかり整理しようと思って銀行へ。あれやこれや色々確認が難しくやっと・・・貸金庫の中を見てびっくりしました。 考えた金額よりも多額な現金がありました。よく考えましたら母方の3人の叔母たちの相続遺産だとわかりました。急に荷が重くなりました。両親も皆皆つつましく暮らして残した財産を・・・私が無駄には使えません。
クモガイ 12歳の時父の故郷に行って・・・小さな島を一周しながら拾ってきた貝です。
大浜の海岸は岩だらけ いくらでも沖へ出られますが潮が上がってくると 潮だまりは深くなり帰れなくなります。サメに狙われるのはそんな時だそうです。 ただ不思議なことに人を襲ったサメは必ず仕留められるといわれています。 浜には島の英雄「オヤケアカハチ」の足跡がありました。私が見た石垣島は電気・水道等はありませんでした。 真っ暗で鼻をつままれても分からないような闇の道を従妹たちは走っていきます。月明かりがどんなにか明るいかを知りました。
8月14日 ハシナガソデガイ 「女神のかんざし」
ハシナガソデガイ 細長く尖っていて今にも折れそうで怖いです。 海底砂地に生息します。 「女神のかんざし」「糸つむぎ貝」