5月8日    三者三様

三者三様といえばトランプ氏、EUのウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長、そしてイタリアのジョルジャ・メロニー首相が、世間をおさがわせしているようです。男性1人に対し女性2人という構図となり、トランプ氏にとっては分が悪い状況とも言えるが、果たして彼はこれを不利と感じるのか、それとも「両手に花」として楽しむのか・・・・・注目されるところだ。色鮮やかな巻貝 シックな巻貝に囲まれて クルクル目回している地味な丸い貝・・・重しにはなりそうだな~~~








5月7日   真新しいパソコン

 真新しいパソコン・・・・泣きの涙で 判らない解らないとぼやきながら・・・・先生にひぱられって付いてきました。 かれこれ13年以上になるでしょうか このキーボードも長い長いお付き合いです。何から何まで新しくなって うれしくもなく無感情でパソコン始めました。 よよと泣き崩れることもなく 挫折らしき挫折もありませんでした。 根がのんきですから 加えて困るとすぐ助けを求め・・・・やはり新しいことが覚えられるのが楽しいです。まあ~~~~いつまで続きますことやら 頑張らねば。 なにしろ・・・ボケ防止ですから 大切なことです。1歩進んで2歩下がるの連続です。 何か目的を課さない事にしました。 感情が私を動かしてくれるでしょう。









4月5日      パソコン天国へ旅たちました。

 ドタバタして,,,,パソコン天国へ旅たちました。

新しい相棒を求めることにしました。相棒が来ましたら。お披露します。其れがいつのことやらと思っておりましたが 相棒はスルリと私の机に現れ居座りました。

なにしろ・・・・人差し指でポツリ ポツリと雨だれのようにキーボードをたたき 変換キーを押し エンターキーを押して フーと息をつく状態でした。 人間なんか勝手なものです・・・何でも変化してしまうと忘れて仕舞うのですから。それが・・・・やっと8から10にパソコンバージョンアップして慣れたのに・・・11を理解する必要があります。80歳になって苦手のpc11 にまだ付き合おうとしている自分に驚きます。pc出来てもほめられもせず 苦にもされず そういうものに私はなれるような気がしています。 ただそれには・・・・酒命さんの並々ならないご指導があってのことだということは十分に認識していす。

坂の途中に村上開新堂があります。店前の植木鉢














4月4日    花の散るらむ。

予約時間よりも早くに診療所に着ました。待合室は2人しか患者さんは居ませんでした。 私も直ぐに呼ばれ あれよあれよという間もなく薬を貰って終了しました。 こんなことも有るんだ。ぶらぶら小川町から駿河台下その先の神保町まで 古本屋を覗き覗きしながら歩いて 何時ものカフェで 一休みしました。 

「ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ。」  東京の桜は2度も雨に会っても健気に咲いています。



















4月3日     山桜

雨がしとしとと降る中シルバートレーニングに参加するために坂を登りました。新年度です。少し足は痺れていましたが参加して楽しかったです。 会場には25人ほどしか参加者は居ませんでしたが 指導の先生の声は元気に響きました。 終わるといそいそと焼き芋を買いに行きましたが・・・・未だ準備が出来て居ませんでしたので アイスクリームを買って帰ってきました。

山桜       もろともに あわれと思え 山櫻 花より外に 知る人もなし     








オオシマザクラ  新葉は緑 花は白     ヤマザクラ  新葉は紅色 花は淡い紅色







          



4月2日     黄木蓮

 とうとう・・・大台に乗った。昭和20年4月2日 午前0時15分  七百三十匁  臍帯巻絡・・・・助産婦 西塚 イシ  妊産婦手帳  有谷喜美子   戦時下の中母は疎開先の青森県三戸郡剣吉で私を出産しました。 「姉ちゃん猿の子を産んだ」・・・・と12歳の叔父は思ったそうです。 父が沖縄県石垣島出身の為 両親の婚姻届けは受理されぬまま 私が中学入学の為戸籍を取り寄せたら・・・私は入籍されていませんで母の実家に記載されていました。妹が入籍し・弟が入籍して最後に私が入籍していると 順番が狂いました。

坂上に黄色い木蓮が咲きました。  目にも鮮やかなレモンイエロー珍しい色です。
















当時東京は空爆で焼け野原 父はこのまま青森に引っ越しをしようと考えていたようですが・・・・母が身内からされた仕打ちに考え直し終戦後直ぐに東京に引き上げて来たそうです。僅かなオシメしかなく・・・汚すと直ぐ洗濯しなければならず お湯を沸かすと水を入れられたりして 母は生後半年に満たない幼児を抱えての列車での長旅は大変だったそうで・・・母の前に居た男性が人波から私を守ってくれたと何度も聞かされました。母の父親が生前鉄道省に勤ていた関係で切符が手に入ったようです。青森から東京への移動の話しは何度も何度も聞かされました。 12歳だった母の弟の叔父がいつも負ぶわされて・・・背中を濡らされたと たこが出来るほど聞かされました。  満州からの引揚者の話しも惨いことばかり 此の黄色木蓮の様な明るさは無かっただろうに・・・当時の日本人は皆強かったです。






4月1日 沈丁花

入学式の頃になると・・・母校の周りには沈丁花が咲いて香りを届けました。真新しセーラー服を着て 近所のKちゃんと通いました。 彼女は身体が弱かったのか時間にはルーズでした。1年1組担任はS先生綽名は「陸上カバ」3年間担任でした。クラス会が有ってもクラスメートが全員矢張り先生の思い出話ばかりでした。

沈丁花   甘い香りがします。クチナシ・キンモクセイと共に日本の三大芳香木です。















 最近は「エイプリルフール」なる言葉を聞きません。 エイプリルフールは午前中だけ他愛のない嘘をついても良いと言うルールが有ったりしますが・・・・「馬鹿の日」なんて言った覚えもあります。